連絡通路

脳と現実の連絡通路

孤独になりたい

SNSがこれほどまでに普及している現代において、孤独を得ることほど大変なこともない。地方に居て、夜の闇の中に身を潜めれば、多少なりとも孤独は感じられるだろう。しかし、都内に住んでおり、どこに居てもWifiが飛んでいるような環境では、孤独を得ることにすら苦労を禁じ得ない。

インターネットをやっている間なんて、人と会話している時と同じようなものだ。我々は昼間も夜も、年がら年中ほかの人とコミュニケーションを取っている。これではいけない。何もできなくなってしまう。

飲み会とかに参加した人であれば分かると思うんだけども、人は他の人とコミュニケーションを取るとそれだけで満足してしまう傾向にある。人生に満足してしまうのだ。まぁ、それはそれで良いのかもしれない。結局のところ、人生は自分が満足できるか否かの問題でしかないからだ。

でも、なんだか人とずっと居ると疲れてしまう。孤独だからこそ感じられるものもある。こうして一人で真っ白いエディタに向かって文章を打っている時にしか、思い浮かばないことだってある。

だからこそ、こうして孤独な時間を大切に扱いたい。普段は人と接している時間量が多すぎるのだ。チャットを見ていたって同じだ。文字を通してその人のことを考えてしまう。それではいけないのだ。もっと自分よがりにならなくては。

 

というわけで、今日も日記を書いている。こうやって貯めていった文章が自分の将来に何かしら役にたつことはあるんだろうか。いや、ないだろうな。でも、こうして自分の頭の中にあることを何かしらの形で公開することに純粋な楽しさがある。この「役に立つ」という観点ではなく、「純粋に楽しい」という気持ちを大切にしたい。

人間なんて特に何かを考えたところで何も解決しないからな。色々な経験をしてきたけども、結局のところ、自分はエディタへ向かってしょうもない文章を書いている時が、一番楽しいのだろうな。そんなことを思う。

 

もしも目の前に30億円あったら、明日からは何も考えずに本を読み、こうしてエディタへ向かって自分の考えを書き連ねるだけの生活をするだろう。そういう生活を目指して生きている。その生活の夢はいつか叶うのだろうか。それとも、それが叶うことを夢見たまま、自分はこのまま老いていくのだろうか。

分からないな。人生の真の目的は「読書を嗜みながら、パソコンで真っ白いエディタへ向かって益体もないことを延々と綴っていたい」に尽きる。これだけだ。これ以上のことは何も望んでいない。

でもまぁ、人は労働をしなければならないよ。それだけは事実だ。

宿題

人生の意味について考えることは多々あるが、そんな瞬間の中でも文章を書いている時間はどちらかといえばマシな方だ。

文字にされた思考よりも分かりやすいものはない。脳内は常に混沌としすぎている。これを理解することは不可能だ。それに引き換え、文字に落とし込まれた思考はこれ以上なくハッキリしている。ここに書かれた以上でも、以下でもないからだ。

外部に吐き出す前の思考のなんと不確かなことか。モヤモヤしすぎている。それが良いことなのか、悪いことなのかの区別もつかない。文字にされて初めて判断を下すことができる。

というわけで、深夜にこうして考えていることを書き出している。そして、今考えていることは、人間は仕事からは逃れられないという事実だ。

 

よくよく考えてみれば、人が何もかもから解放されていたのは小学生時代が最後だ。中学受験のために塾へ通っていた、などというシチュエーションの場合は別だが、大抵の小学生は全ての義務から解放されている。義務といえば夏休みの宿題くらいだ。

夏休みの宿題をするくらいで生存することが認められていた世界と、今の世界では、あまりにも求められていることに差異がありすぎる。

でもまぁ、延年と夏休みの宿題を出している訳にもいかない。2+3=5のようなドリルを解き続けているわけにもいかないのだ。いつか飽きがくる。だから多少は難しいドリルに挑戦した方が良い。

そうやってドリルに難しさを求めているうちに、気づいたら2+3=5を解くだけでは許されなくなっていく。段々と要求されるレベルが上がっていくのだ。

今では義務に縛られ、小学生時代のような自由さは失われている。本当に2+3を解けるのか否かを心配する日々になってしまっている。

 

もっと何も考えずに生きていきたい。しょうもないことで騒いでいられた頃に戻して欲しい。もっと遊んでいるように暮らしたい。それだけが望みだ。

 

いやでも、遊んでいることと真剣に生きることは両立し得るものでは無いのかな? 楽しく遊ぶことと、真面目に仕事することは両立できることなのでは? 明日はこの辺を考えてみよう。今は疲れと眠さで何も分からない。

 

頭の中を吐き出して楽になる

 頭の中を吐き出す必要がある。

それは日記の形でも他の形でも良いのだが、とにかく頭の中に溜まっている情報を外界に放出しなければ気が狂ってしまう。

単調に思える日々の暮らしだとしても、人が1日に受け取っている情報量は実はとんでもないスケールなのだと思う。

この日記は数byteほどのデータ量にしかならないから、自分が今受け取っている情報量とは格段に違いがある。頭の中にある情報量とも違う。真に体験や映像を人に伝えたいのであれば、文章ではなく絵や動画を使わなければならないのだろう。

だとしても、それをするにはとてつもない時間がかかる。絵や動画を作っているだけでは間に合わないのだ。文章として考え、文章として吐き出している方がスピード感があるという気がする。

 

さて、自分が何をしたいのかと言えば、自分が何を考えているのかを知りたいということだ。

頭の中で何を考えているのか、自分がどういった思考回路をしているのか、それは文章に書き出してみるまで分からない。

誰かに向かって喋れば自分の思考をまとめられることもあるかもしれない。しかし、人が誰かに向かって喋っているときには、必ず相手のことが脳裏をよぎっている。自分自身の思考にのみ集中しているわけではないのだ。必ず相手のことが頭にある。

これではいけない。日記という形で誰でもない相手に向かって、自分自身のことを語りかける方が性に合っている。むしろ、誰かからのレスポンスが来てしまうと、そのレスポンスを期待してしまうせいで、自分の思ったことが書けない、なんて事態にもなりかねない。

 

好きにやれるほうが良い。ここでは好き勝手に書きたい。

今回ブログを書き始めたことにも理由がある。頭の中で考えすぎてしまうせいで、日々の雑事が手につかなくなってしまったのだ。考え事をしながら掃除や洗濯はできないし、より実のあることもできやしない。

 

何かから逃避をするように漫画を読みふけったり、アニメを見入ったりしてしまうことはないだろうか。それは自分の思考から逃げたいが為である。自分が考えている思考を直視しないためには、漫画やアニメに逃避することが一番手軽だ。特にインターネットがある現代では。

逃避をしないために、日記を書いていきたい。エディタに向かっている瞬間だけは逃避ができない。重要な点はそこにある。逃避ではなく、考えをまとめ、吐き出して、それによって前に進めるようになりたい。

 

さて、ここからが本題だ。本題から逃げてはいけない。きちんと立ち向かわなければ。

実際のところ、世の中のことがいまいち理解できない。仕事というか、ある分野に興味を持ち、そのために全力を尽くしていられる人たちの気持ちが理解できない。

自分としてはこうして自宅に引きこもりながら(平日は仕事をしている)、ただ淡々と日々の日常を綴っていられるだけで幸福なのだ。たまに誰かからレスポンスが来たらちょっと嬉しいが、それは本質ではない。誰かからのリアクションを期待しての行動は、自己の内発的なモチベーションに立していない。

ただ、純粋にやりたいようにやることだけが人生にとって最も重要なのではないかと考えている。それをしている内に有名になる人もいる。しかし、有名になってしまったことで苦しみが増す人間もこの世界には数多くいる。

好きなことをして生きていくためには収益を上げなければならないが、収益を上げるためには他のしんどいこともやらなければならない。世の中は得てしてそういうものだ。

 

なんだか分からなくなってしまったが、様々なことで苦しんでいる人たちを見て、頭の中がゴチャゴチャしている。好き勝手に生きること、自分の中から自然と湧き出る衝動に従って生きることは、そんな簡単なことではないのだろう。

 

正直言って、自分も今後どうなりたいか、などといったことは全く分からない。分かりきっていれば日記など書く必要がない。おそらく、今後の人生でそれが分かることなど絶対にないのだろうな、という気持ちがある。

我々は一体どうしたら良いのか。何をすれば満たされるのか。有名になり、金に不自由なく暮らすことができ、若い女の子にモテればそれで満足できるのか。むしろ不幸になることもあるのではないか。

そんなことを考えながら日々を生きている。

 

この日記もいつまで続くんだろう。忙しい毎日を送っていると、こんな適当な日記ですら徐々に書けなくなっていく。もっと楽しいことを考えて、楽しいことだけに集中して文章を書けるような人間になりたい。人生の意味なんてものにとらわれず、頭に溢れるアイディアを積極的に形に変えていけるエネルギッシュな人間になりたい。

小説家になろうが叩かれやすいのは、多分に嫉妬の思いが皆にあるからに違いない。たとえ小説家になろうに投稿された小説が大した人数に読まれなくとも、もしくは書籍化までいかなくとも、そんなことはどうでも良いのか。

ただ楽しい空想を楽しいままに(恐らくそこには苦しみもあるのだろうが)書き連ねていられる書き手の者たちに、みな嫉妬しているのだ。

自分の場合は、適当に何も考えずにキーボードを叩くと上に書いたようなどんよりとした文章になってしまう。根が暗いに違いない。これが真の根暗だ。

 

もっと現実のことを書けるようにしなければならない。もしくは全くの虚構を書けるようにならなければならない。現実は暗く厳しく、虚構は明るく楽しく、それでいいんじゃないかと、虚構の中でまで厳しいことは考えたくない。現実のことをきちんと真正面から記述するだけの精神力を持ち、現実のことを完全に忘れた世界に没頭できるだけの時間と心の余裕を持ちたい。

今はそれが精一杯だ。