連絡通路

脳と現実の連絡通路

たくさん寝てしまうことについて

欲求が無くなっている。問題は欲望が無くなっていることだと思う。

人は満たされてしまうと何の欲求することが無くなってしまうのだ。

自分の場合は、最低限必要な環境が「電車通勤をせず、朝は自由な時間に起きられること」である。この環境さえ整ってしまえば、あとは他に何もいらないのかもしれない。

それ以上の高次な欲求を持てなくなってしまった。あまりにも呆れ果てるが、人生で求めているものはそれ以上でもそれ以下でも無いのだ。電車通勤をせずに、好きなだけ寝ていられるのであれば、それで良いのである。

こういったメンタリティが形成されたのは、10代の頃にあまりにも酷い環境で生活を送っていたからだろう、ストレス値が臨海値を越えると人はダメになるのだ。何かを新しくやろうという意気込みが消失してしまう。

 

ここ数年で自分が注目している現象がある。それは身体の凝りを無くしていくことだ。インターネットをやっている人間に共通することだが、身体中に凝りが蔓延している。これらを一つ一つ治していくことがライフワークとなっている。

運動をするのが一番なんだが、どうも運動をする気持ちになれない。なぜだろう。東京都という人が密集した地域に住んでいることが一つの原因である気がしてならない。

それはともかく、身体の凝りをどうにかしたい。そのために、たまに凝っている部分を解放しようと意識を集中させ、その部分の血の巡りを良くしようと試みることがある。うまくいく場合もうまくいかない場合もあるのだが、うまくいくとコレがすこぶる気持ちがいい。これ以上の快楽は存在しない。

例えば、1〜2時間以上もインターネットをやっていて身体がこわばってきたときに、うーんと背伸びをする。そのときに感じられる気持ち良さを何倍にも増幅したものだと考えてもらいたい。何年も固まっていた筋肉が動き出すのだから当然だろう。数年分の強張りが一度に解放されるので、それだけ気持ちが良いのだ。

問題は、そうやって凝りを解放すると睡眠時間が異常に伸びることだ。精神的に鬱であることも関係しているのかもしれないが、どちらかといえば肉体由来の睡眠時間だと感じる。単純に、身体の神経を回復させるために睡眠が必要なのだ。

いつか身体中からこうした凝りが無くなってくれたら、それだけで健康的な生活が送れるのではないかと考えているが、果たしてそううまくいくだろうか。

 

もっと睡眠時間を減らし、といっても7〜8時間という真っ当な時間にまで減らすという意味だが、それで健康的な生活を送ってみたいという気持ちがある。そうなれたら良いなぁと考えるのみだけども、今は。