連絡通路

脳と現実の連絡通路

生き悩む

 2019年になったらしい。それに対して特に感慨はない。2018年が終わったことに対して感慨が無いように、2019年が始まったことに対しても思うことは特に無い。

 色々なものに手を出してきた1年だった。それでも特に人生を変えるような物には出会えなかった。結構活発に動いてきたつもりだけども、はたから見たら大した物では無かったのだろう。

 2015年頃はまだ真剣に生きていたと思う。ブログだって真面目に面白いことを書こうと意気込んでいたし、実際にそれだけの熱量をかけた記事を書いていた。

 問題は「自分の中には何も無い」ということだ。例えば意見だったり、志向だったり、なんでも良いのだけど、全てがどうでもよく、薄っぺらく感じられてしまう。昔は面白いと思えていたものも、今では面白いとは感じられない。

 映画、アニメ、漫画、小説、フィクション、ノンフィクション、エトセトラ……

 人生なんてこんなものかな、と思いながら生きている。何かしらに熱意を持って取り組める人はそれだけでスゴイ。このブログは日記を書いている程度の気力しか使わずに書いているのに、それでも毎日続けることはできない。所詮はその程度なのだ。

 一番の問題は「自己が薄っぺらい」という点にある。自分を紹介しようとしたとき、一体自分が何を好んでいて、何が嫌いで、どんなことに興味があるのかが全く分からない。逆に言えば、どんなものでもある程度は面白いのだ。

 そう、どんなものもそこそこ面白いという点に最大の問題がある。映画だって面白い。アニメだって面白い。漫画だって面白いし、小説だって一般・ラノベに限らず面白いものは面白い。ゲームだって面白い。虚構も現実も面白い。

 そういう意味では、仕事だって面白い。認めたくない事実かもしれないが、ゲームをやっているのも仕事をやっているのも、所詮は同じことに過ぎない。目の前に課題が与えられ、それを解決していく様が面白いのだ。それは娯楽だって仕事だって変わらない。

 まぁ、面白いのなら良いのかもしれないが、自分の中にある確固とした面白さの信念は年々薄れていきつつあるのを感じる。自分が、自分だけが面白いと思えるものが消失していっているのだ。

 思い返せば、マイナーなものに面白さを見出すことに自分はアイデンティティを感じていた。でも、自分がマイナーだと信じていたものは、実はマイナーではなかった。SNSの時代には、どんな分野もメジャーであり、一つのれっきとしたジャンルなのだ。

 この時代に自分が没頭し得るジャンルなんて存在しない。なにせ「これはマイナーだけども面白い」ということだけを基準にして自分がハマれる物を選定して生きてきたのだ。全てのジャンルがマイナーではなくなった現代において、この基準は意味を持たない。

 どうすれば良いのかな、と考えても答えはでない。純粋に生き悩んでいるだけなのかもしれない。もしくは運動不足による抑うつか。

 なんだかうまく生きれてないな。趣味に没頭したくても、没頭できる趣味が見つからないのだ。こんな哀れなことがあるだろうか。よく分からない。そんな2019年です。