連絡通路

脳と現実の連絡通路

小説を読むなどした

何か面白いことないかなーと思って日記を書いている。逆なのだ。面白いことがあったから日記を書いているのではなく、日記を書きながら今日という1日の中で面白いことが無かったかを思い返している。そうしないと1日の中で何が起こっていたのかが全く分からなくなってしまう。

 

そんな経験は無いだろうか。文章にしようとして初めて、自分の1日を客観的に振り返ることができるのだ。それまでは漠々とした「今」という物にとらわれて、今日1日をどんな風に過ごしたかなんてことは頭に一切浮かんでこない。そんなものだ。

 

今日は小説を2本ほど読んだ。1つ目は京極夏彦の「鬼談」だ。

 

怪談みたいなものだった。解説によると他にも「〜談」シリーズがたくさんあるらしい。自分は鬼談しか読んで無いので比較のしようがないが、巻末の解説によると「〜談」シリーズ内では一番怖いらしい。

 

実際怖かった。

 

久々に怖かったと言っても良い。最近は美少女が出てくるアニメか、なろう発の小説くらいしか読んでいなかったので、こうした恐怖感は久々に感じたものだ。短編集なのでサクサクと読めるが、サクサクと読めるが故に恐怖心が連続してやってくる。それでも読むのが止められない。辛くて旨いものを食べているような気分だった。

 

精神の奥底というか、人間の奥底にある恐怖感を喚起させる。顔を半分隠した女が出てくる話のラストシーンや、屋敷内に正体不明のおばさんが住んでいる話、そして山に引き寄せられる話のラスト。このあたりは脳裏に景色が焼き付いて離れない。

 

怖い話の怖いシーンが頭から離れないほど厄介なことはない。今日も風呂でシャワーを浴びているときにふと脳裏にシーンが思い起こされて、普通にぞくっとしてしまった。恐怖心なんてとっくの昔に忘れたと思っていたのにな……だが、恐怖心が残っていたのだ。最近心が動かされないと感じているのであれば、試しにホラーで動かしてみるのも良いかもしれない。喜怒哀楽なんてつまらない。恐怖は良い。

 

二つ目は小説家になろうで「辺境の老騎士」を読んだ。

 

これも面白かった。10時間くらいぶっ通しで読んでしまった。最初は純ファンタジーだと見せかけて、話が思いもよらない方向に進んでいく。それでいながらキャラクターは骨太だし、物語の骨子がしっかりとしている。なろうっぽさが全く無かった。読んでいるとあれよあれよという間に時間が溶けていくのでオススメしたい。

 

こういうストーリーを求めているんだよな。昔のスクエニRPGみたいにシンプルなストーリーのファンタジー物を求めている人間であればスッとハマると思う。けれど、登場人物や登場地名が多すぎて、誰が誰だか分からなくなるという欠点はあった。

 

正直、登場キャラクターをいちいち頭の中で整理して、誰がどう言った人物であるかを覚えていられるのは10人くらいが限度だと思う。よほど個性が強ければ別だが。辺境の老騎士の場合はキャラクターが際限なく増え続けるし、中世の貴族社会的な世界観で繰り広げられるのでキャラクター同士の親戚関係がめちゃくちゃ複雑だった。

 

できる限り小説を読むときに脳を使いたくない自分としては、登場する固有名詞の多さには辟易とさせられたが、これが純ファンタジー的な世界にリアリティを与えているのだと思う。たまらない人にはたまらないのだろう。

 

それに、主人公に絡んでくるメインキャラクター達は誰もが個性豊かで魅力的だった。だからそれで十分なのかもしれない。また、親戚関係が描写されることが、より深く主人公の”人生”の描写に寄与していたようにも思える。いずれにせよ、最後まで一気に読んでしまった。最高でした。

 

というわけで感想は終わり。辺境の老騎士を読んだ後の読後感は素晴らしかったな、と思いつつ。読後感が爽やかな小説って良いよね。舞城王太郎の小説とか途中はめちゃくちゃ面白いんだけども、ラストの尻切れとんぼ感だけは頂けないし。自分の読み方が悪いのかもしれないけど。

 

こうしてみると、世の中には面白いことがたくさんあるんだよなぁ。正直、フィクションさえ面白ければなんだって良いのかもしれない。ノンフィクションって怠いんだよね。全ての事実関係にソースが求められるから、読んでいてスピード感が出ないというか。ノンフィクションにスピード感やエンタメ性を求めるのは間違ってるけど。

 

そして今日も面白いものを探して生きていきます。